【スターウォーズ最後のジェダイ】モヤモヤの原因は師弟関係にある?

賛否両論の作品:最後のジェダイ
スターウォーズエピソード8最後のジェダイは、シリーズの中で賛否が分かれ、問題作として知られている。ストーリーラインが少々いきあたりばったりであるとか、設定に矛盾がある等、否定的な意見も多い。その原因は、本作のキャラクター同士の関係、特に師弟関係にあるのではないか。
4人の師匠 ルーク、ホルド、スノーク、ファズマ
スターウォーズシリーズの魅力として、魅力的な師匠の存在がある。時に主人公を育て、助け、一人前にする大人達だ。ヨーダやオビワンはシリーズの顔である。 本作は、7と9を繋ぐ中編、エピソード8であり、メインキャラクター4人に対応し、師匠キャラが4人登場する。しかし、今までのシリーズと違う点がある。師弟間のコミュニケーションが全て「否定」から始まっているのである。うまくいっていない。以下、それぞれの関係を掘り下げる。
レイとルーク
ルークと言えば、我らが初代主人公、伝説のルークスカイウォーカーである。しかし、ベン(カイロレン)を誤解からダークサイドへ落としてしまったために、新主人公への態度は冷たい。レイとの初のコミュニケーションは、届けたライトセーバーを投げ捨ててしまう「否定」から始まった。その後、レイへ修行をつけるのであるが、レイはルークからの指導を身につけていくというよりは、自力で強くなってしまうように見えてしまう。ルークは、フォースとはバランスを保つ力であり、ジェダイ自身の持つスーパーパワーではないと説くのであるが、終盤では岩山を動かしてしまうなど、レイの持つ魔法であるかのようにみえてしまうのも、難しい。レイの活躍とルークの指導が結びついていない。
「フォースは人の持っている力ではない。岩を持ち上げたとしてもだ。あらゆるものの間にあってバランスを保ち全てを一つに結びつける。」
ポーとホルド
ポーは本作では、より攻撃的な人物として描かれる。ファーストオーダーを撃破することに躍起になり、戦果を出すも、結果としてローズの姉を作戦で死なせている。そこに現れるのが、ホルド提督である。彼女は、何よりも人命優先、正しい人物であるのだが、酷い一言を放ってしまう。
「爆撃中隊自滅作戦。あなたのような飛行士さんの扱いには慣れてる。キレやすくてとても危険。特に今の状態は。だから良い子にして。命令に従って。」
荒ぶっているポーを止めるためにはこれくらい言うほかないのではあるが、マウントをとってしまっている。結果、ポーは独断専行し、クーデターをおこしかけた。スタンガンさえ使おうとしていた。実際にはホルド提督はポーを気に入っており、ポーも態度を改めるのだが、ギスっていたのは否めない。そのため、ホルド提督が特攻しても、感動が薄い。ハイパースペースによる特攻も、ここの関係性が深ければ、気にならなかったのではないか。
ベン(カイロレン)とスノーク フィンとファズマ
スノークとファズマは、前作のフォースの覚醒から登場していたが、今回割を食ってしまったところがある。出番が少なく、テンプレ悪役の域を出なかったかもしれない。だが、悪役として、スノークはベンを、ファズマはフィンを出来損ないとして否定している。スノークはベンに対し、ライトセーバーを握ったばかりの小娘に負けたと罵倒した。ファズマは、フィンをシステムのバグだとして糾弾した。
個人的な意見として、ファズマは、フィンの母親的存在、ある種の毒親としてのドラマがあれば良かったのかも知れないが、家族愛がメインのシリーズでは厳しいか。ストームトルーパーの悲喜こもごもがもっと見たかった感がある。
ファズマ「システムに紛れたバグめ」 フィン「この金属頭が」 (不意打ちを食らって) ファズマ「お前はやっぱりクズだな」 フィン「クズで結構」 このやりとりは、否定を吹き飛ばす力があって好きだ。
師匠の結末と弟子との不和
ルーク、ホルド、スノーク、ファズマは、結果として全員、死亡している。 ルークとホルドは仲間を守るために自らを犠牲にした。 スノークとファズマは、不和から、自分の弟子からの裏切りによって命を落とした。
しかし、この4人は弟子達に何か残せたのか。心のつながりが薄いように感じられた。 レイもポーもフィンもベンも、自分を疑うことなく動いている。ローズによる帝国艦隊潜入作戦は、この葛藤なき自由の象徴に見える。この若者世代の無機質さ、合理性は、意図的に演出されている。前作「フォースの覚醒」より、人間味が薄いと言われているのは製作側の思惑なのではないか。子供の考えを大人が否定すれば、子供は強くなる。だが、それではつながりは薄くなる。絆、力の継承は弱くなる。ジェダイもシスも同様に。共感が必要なのだ。
テーマは若者を否定する大人の弱さか。新時代を受け入れる大人の不安?
実は本作において、真の主人公は師匠世代の大人なのではないか。弟子とのコミュニケーションで、想いはあっても「否定」の態度を崩さずに出してしまった。これは、若い世代を受け入れることが出来ない、上の世代故の不安から来る弱さである。師匠は、弟子を育てると共に、価値観を受け入れなければならないというのが、この作品のテーマではないか。たとえ間違っていたとしても。新しい価値観に出会った時、わからないと叩くのではなく、共感しなくてはならない。そうでなければ、「最後」になってしまう。そんなことを教えてくれる作品だと考えている。
「やってみる、じゃない。やるか、やらないか、だ。やってみる、などない。」